節分で特別扱いされる性があるそうですが、その性名は渡辺さんということなのです。
それってどういうことなんでしょう?
節分の豆まきで渡辺さんだけが特別?
渡辺綱は平安時代、中期の武将で摂津源氏の源頼光に仕え、その頃京都の大江山付近で最強の鬼、酒呑童子が暴れまわっていました。
帝から鬼退治に任命された源頼光の中でも頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた渡辺綱もそのひとりであった。
渡辺綱の強さは本物で酒呑童子を仕留め、酒呑童子の配下の鬼、茨木童子が仇をとるためにやってきたが、渡辺綱は源家重代の刀として伝えられる日本刀髭切りの太刀で鬼の腕を切り落とした逸話で有名なのです。
渡辺綱の強さは鬼たちに衝撃を与え、鬼は渡辺一門を恐れるようになり渡辺性の子孫にも近づかなくなったとされております。
平安時代の関西の話だが、豆まきをしなくてもよいという都市伝説的な話は渡辺さんだけでなく、渡部さん、渡邊さん、ひいてはワタナベさんは、鬼が恐れているので豆まきをする必要がなく福だけを招けばよいということなのです。
信じるも信じないもアナタ次第です、by都市伝説風
節分の厄払いに豆まきを行う言い伝えは?
節分の豆まきで何も考えることなく豆をまいていると思いますが、豆を炒るということが、鬼を射るということにつながるという説もあります。
炒った豆が大事で、生の豆ですと根付いてしまい、邪気が根付くにつながり、現代ではスーパーで炒った豆が簡単に手に入りますので準備すればよいかと思います。
また節分時に必ずといってよいほど、成田山新勝寺の豆まきがテレビで放送されて、お相撲さんや芸能人が豆まきをして話題になっています。
新勝寺で行う成田山の節分会では、「鬼は外!」とは言わずに「福は内!福は内!」と唱えるそうで、これは御本尊不動明王の慈悲が大きいので、鬼も屈服し改心してしまうということからなのだそうです。
開運豆まきは、大本堂の内陣でのみ行われる特別な行事で、御護摩祈祷を行い、御本尊不動明王の御宝前で豆まきを行うそうです。
節分がどうして2月3日に行うかは旧暦で2月4日が立春にあたるので、今でいう大晦日とお正月の関係で、新年の年神様を迎えるにあたり、これまでの厄払いの意味を込めて、その家庭に厄年の人がいる場合も、家も厄年の人も一緒に厄除けをしてしまおうとのことで、最近では少ないと思いますが、正式に行うには炒った大豆を枡に入れて神棚に供えて家族全員が揃ってから、玄関からまきはじめ全ての出入り口にまき、鬼は外、福は内は各部屋2回ずつ言い、豆をまき終えたらすぐに窓を閉め、数え歳の数だけ豆を食べるそうです。
豆まきに使った大豆は福豆と呼ばれ、御利益があるとされていますので、どうしても食べられない時はお湯を注いで福茶にして飲んでもよいそうです。
節分で恵方巻きを食べる由来
最近は全国的に広がっている節分の時に、恵方巻を吉方向を向いて1本丸かじりで食べるという風習は元々は江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で商人や芸子さんたちが芸遊びをしながら商売繁盛を祈り食べていたのが始まりとされています。
また戦国時代の武将が節分の日に丸かぶりして出陣したら戦に勝利したというのが始まりという説もあります。
当時は恵方巻と呼ばず、丸かぶり寿司や太巻き寿司と呼ばれることが多く、七福にちなんで、7種類の具を入れて巻くのが基本とされています。
1本丸ごと丸かじりで食べるのは、幸福や商売繁盛の運を一気に一気に頂くという意味で、途中で止めるという事は運を逃がすことになるそうです。
恵方巻を食べるというはじまりは大阪の花街ですが、恵方巻という名称は1989年広島のセブンイレブンで恵方巻と呼んで仕掛けたとされています。
最近ではスーパーやコンビニなどで便乗商売なのか、恵方巻が全国で沢山販売されています。
あえて我が家では恵方巻は食べませんけど・・・
節分 いわし ひいらぎの由来
節分に魔除けとしてひいらぎの小枝に焼いたいわしの頭を飾るという風習を聞いた事があるかと思います。
ひいらぎの葉のトゲが鬼の目を刺すという言い伝えもあり、いわしを焼く臭気と煙で鬼を近づけないという言い伝えもあったり、いわしの焼く臭いで鬼を誘い鬼の目をひいらぎのトゲで目を刺すという言い伝えもあります。
お正月に飾る注連縄にひいらぎの枝といわしでなくボラの頭を刺していたということが平安時代の風習としても確認されているそうです。
西日本一円では節分いわしと言って、節分にいわしを食べるという習慣があるそうです。
奈良県奈良市内、福島県から関東一円ではひいらぎいわしを飾るという風習が見られるそうです。
千葉県の我が家の近所のスーパーでも、節分が近づくとひいらぎいわしが販売されています。